エンデさんの魔法
岩波少年文庫236「魔法の学校 エンデのメルヘン集」を読む
ミヒャエル・エンデ(1929-95)
The School of Magic and Other Stories (Die Zauberschule und andere Geschichten) (1994), collection of 20 short stories からの10本かしら(wikipedia,英語版より)
10個の短編集
- 正しくいうと
- 魔法の学校
- レンヒェンのひみつ
- はだかのサイ
- きにしない、きにしない
- ニーゼルプリームとナーゼルキュス
- 魔法のスープ
- テディベアとどうぶつたち
- サンタ・クルスへの長い旅
- オフェリアと影の一座
正しくいうと
序文が物語になっている。本が大好きな家族(人だけでなくカエルや猫も)が本が好きすぎて日常生活に支障をきたす。
魔法の学校
私たちが住んでいる「ふつうの国」ではない、まだすこしは望みがかなう「望みの国」のお話。「望む力」を知り、つかいこなすために魔法学校の授業が主なはなし。
望む力の規則
- ほんとうに望むことができるのは、できると思うことだけ。
- できると思うことは、自分のお話にあうことだけ。
- 自分のお話にあっているのは、ほんとうに望んでいることだけ。
「ちゃんとしたことができない、不正直な人間だけが、ほんとうに必要でないものまで自分のものにしてしまい、そのおかげで、世界はめちゃくちゃになってしまうんだよ」
「つくりだしたものは、どんなものでも、つくった者まで変えてしまうんだよ」
レンヒェンのひみつ
親がいいなりになってくれず、大人は子どもよりも体が大きいから負けるんだと嘆く少女。そんな少女に魔女が「食べると反抗するごとに体が半分になってしまう」魔法の角砂糖を渡す。親に食べさせ小さくなりいうことをきくようになってルンルンな少女。上機嫌は束の間、親が小さくなりすぎて怖くなりもどしてほしいと魔女に頼みに行く。食べさせる前に戻してやるが、代わりに少女自身がその角砂糖を食べなくてはいけないと魔女は告げる。それでいいと少女は言い、親のいうことに反抗しなくなる。その様子をみて両親は子どもらしくないといい、角砂糖は体に入って溶けてなくなるので23日たった今ならもう魔法は効かないとトンチをきかせる。反抗しても体が小さくならないことに安堵する少女と両親。それ以降反抗する数がへった。
どらえもん=魔女、のび太=少女みたい。
はだかのサイ
裸の王様的な話
きにしない、きにしない
世にも奇妙な話にでてきそう
ニーゼルプリームとナーゼルキュス
ニーゼルプリーム=今、ナーゼルキュス=過去?
同じところにいったけど、今楽しんでいるときはニーゼルプリームと話し、家をでてからそれがナーゼルキュスにおきかわる。と呼んだのだけれど・・・。会話がなぞなぞみたいでじっと読んでないと、何を読んだんだ?ってなる。
魔法のスープ
争いのきっかけは単純、解決策も単純。それなのに争い自体を楽しんじゃって複雑になる。
テディベアとどうぶつたち
「何のために生まれたのか」を知るべく、テディベアがいろんな動物に尋ねる。
ハエ「飛びまわってなんでもなめるため」
ネズミ「家族を養うこと」
メンドリ「タマゴをうむこと」
アトリ「ずうずうしくやる」
ミツバチ「せっせとはたらく」
白鳥「うつくしいこと」
カッコウ「数えられるものが大事」
サル「なかまをつくること」
ゾウ「生きていることの意味はなにかと考えること」
カメ「長生きすること」
トカゲ「意味があるものなんてない。すべては見せかけで、移り変わる。何にも考えない」
ハサミムシ「いごこちのいい家に住む」
ガラガラヘビ「食べられるため(食べるため)」
チョウ「よりよいものへと変わるため」
テディ「女の子と過ごし、幸せになるため」
サンタ・クルスへの長い旅
学校にも行きたくない。親にも構ってもらえない少年が現実逃避する話。
オフェリアと影の一座
お芝居が大好きで世界中のあらゆるお話を暗唱できるオフェリアおばあちゃんと「影」たちの話。ラストの黒から白へ変わるイメージがすてき。
一番すきな話は最後の「オフェリアと影の一座」。頭の中に浮かぶイメージがどの場面も綺麗・・・。